旧手宮線(幌内鉄道)です。【北海道小樽観光貸切ジャンボタクシー・Sightseeing TAXI高橋】

小樽市旧手宮線

小樽市の南小樽駅から小樽市手宮駅を結ぶ日本国有鉄道が運営した鉄道路線(貨物線)です。

北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで賑わいましたが、1985年(昭和60年)11月5日に廃止となりました。
現在では、遊歩道が整備されています。😃✌🚖🚕🚖

手宮線

北海道の鉄道発祥の地小樽は、街を東西に横断してレールが敷かれています。

これはさほど珍しいことではないですが、かつて繁華街の真ん中を蒸気機関車が黒煙をふきあげながら通り過ぎたさまは、地方から訪れた人々を驚かせたものでした。

昭和39年、高架線の完工によって函館本線の花園銀座街と第二大通の両踏切が廃止されるまで、両方で1日100回以上も下りる遮断機が人と車の流れをせきとめて市民をいらだたせました。

少し古いですが、昭和9年の「市内交通量調査報告書」の中に重要交通量調査という1項があります。

それによると、朝から12時間の調査で市内15ヶ所の踏切の総遮断回数は616回、総遮断時間は29時間52分に及んでいる。

回数の最高は手宮仲通線踏切、時間の最長は手宮川通線踏切である。

港と直結している手宮線での貨物の扱い量がいかに多かったか、手宮線の運行がいかに活発だったかをこの資料が物語っているようで興味深いです。

明治13年鉄道発祥の地の鉄路は、エネルギーの源である血液が脈打つ大動脈であったのです。

その手宮線も昭和37年に客車扱いが廃止となり、昭和60年完全に廃線となりました。

北海道の鉄道

明治13年(1880年)1月に若竹第三トンネルの工事から開始された後、工事は水天宮第一トンネル(現存せず:花園橋付近)、住吉第二トンネル(現存せず:南小樽駅付近)、熊碓第四トンネル(現存:車馬車のものを改良)と小樽市内の4ヶ所のトンネルを次々と開削していきました。

また、この区間の最大の工事と見られていた入船川の谷をまたぐ陸橋も着工するなど順調に工事は進んでいきました。

この間の9月28日にはクロフォードが買い付けた鉄道資材をつんだトベイ号が手宮桟橋に着岸します。

「義経」などの機関車は早速手宮桟橋の付け根の作業場で組み立てが開始され、同時にレールの敷設もはじまりました。

そして、10月24日、手宮から熊碓までの敷設が完成し、試運転が行われました。

幌内鉄道の写真としては一番有名な、入船陸橋渡る弁慶号のシーンが撮影されたのがこの日です。

ちなみに義経号はまだ組み立て中(完成は12月)で動く事ができる蒸気機関車は弁慶号のみでした。

熊碓から銭函までの区間はすでに馬車道としてクロフォードが建設していたため順調に工事は進みます。

ちなみにこの区間には現存する北海道最古のトンネル通称「義経トンネル」(当時は張碓第五トンネル)と最古のレンガ橋脚「張碓鉄橋」が残っています。

熊碓までの試運転からわずか18日後、の11月11日手宮・銭函間の「仮運転」が行われます。

この段階ですでに営業を行っていたと推測され、北海道初めての鉄道は実質的にこの日から運行(機関車は弁慶号のみ)されていたといえます。

一週間後には軽川(手稲)まで延長し、二日後の11月20日、手宮~札幌間、35.9㎞が開通し、28日に運転式が行われます。

線路工事はもちろんトンネル工事、橋梁工事などすべての工事着工から完成までわずか11ヶ月というきわめて促成の工事でした。もっともそれに効果があったといわれるのは、レールの細さでした。

明治5年(1872年)、日本で最初に鉄道が敷かれた新橋~横浜間で使用されたレールはイギリス、ダーリントン社製の60ポンド(27.216kg)レール(双頭型)でしたが、手宮~札幌間で使用されたものは30ポンド(13.608kg)のレール(T字型)で半分しかないものでした。

耐久度や加重能力はかなり劣るもでしたが、施工が容易であり、クロフォードが活躍したアメリカ西部でも用いられた方法でした。

開通から全通

幌内までの全通

順調に開通した手宮~札幌間にくらべ札幌~幌内間は開拓の手があまり入っていないことと地形的な困難さもあり、松本たち残された日本人技師たちは苦労を重ねることとなります。

明治13年(1880年)中に創成川から豊平川までの間の基礎工事を終わり、本格的な施工は雪解けを待って翌年明治14年(18881年)6月から着工されました。

もっとも困難であったのは山間部の幌内ではなく、札幌近郊の豊平川から江別にかけてでした。

当時の厚別は泥炭地が広がっていたからですが、それ以上に技術者たちを悩ませたのは豊平川の氾濫でした。

ここにはトラスト式鉄橋を架けたのですが、工事完了をまたずに流されてしまい、結局全通時には仮橋のまま、という状態でした。

そのような難工事を抱えながらも、札幌まで開通したのは1年半後の明治15年(1882年)6月25日は江別までの仮営業が開始されました。

そして5ヵ月後、明治15年11月13日、手宮~幌内間91.2㎞が全通し、同時に営業運転が開始され、14日には幌内鉄道本来の目的である石炭の搬出の第一号貨車も出発しました。

翌年明治16年(1883年)2月2日に太政官第三号不達によって正式開業となります。

そして明治16年9月17日に、幌内鉄道開業式が開催されています。

「幌内鉄道開通」はこの3つの段階があるのですが、明治15年(1882年)中は豊平川だけではなく、幾春別川や幌向川の橋も破損するなど決して順調な運転ではなかったのです。

さて9月11日の開通式の様子は函館新聞に詳しく掲載されています。

それによれば、朝7時に盛大な見送りを受けて出発した「比羅夫合」は札幌に8時40分に、幌内には11時50分に到着します。

参加者一行は幌内炭鉱の視察後、札幌まで戻り、札幌の豊平館での式典に参加しました。

その時の式次第と夜会(祝賀パーティー)招待状も残されています。

なお、開拓使煤田開採事務係がはじめたこの幌内鉄道の敷設は、明治15年(1882年)2月の開拓使廃止にともない「工部省田開採事務係」、「工部省岩内幌内両炭山並鉄道管理局」「工部省岩内幌内両炭山並鉄道煤田並鉄道管理局」さらに翌明治16年(1883年)の開通式のときには「農商務省北海道事業管理局」と管理部門が変わります。

幌内鉄道はこの後も名称、管理主体が次々とかわっていきます。

北海道観光ジャンボタクシーの

ご予約・ご相談はこちら

お電話でのご予約・ご相談はこちら

TEL/FAX (0134)25-0204

関連おすすめコース

  • 余市Bルート得旅!冬プラン3時間観光コース 北海道tourist貸切観光TAXI

    余市Bルート得旅!冬プラン3時間観光コース 北海道tourist貸切観光TAXI

    • 余市
  • 北海道余市町観光タクシー Aコース 冬 余市 小樽ゆったり4時間TAXIプラン

    北海道余市町観光タクシー Aコース 冬 余市 小樽ゆったり4時間TAXIプラン

    • 余市
  • 札幌 小樽たっぷり満喫6時間ルートCコース観光プラン 北海道札幌観光TAXI

    札幌 小樽たっぷり満喫6時間ルートCコース観光プラン 北海道札幌観光TAXI

    • 自然
    • 小樽
  • ちょっと札幌 小樽4時間ルートBコース観光プラン 札幌tourist貸切観光TAXI

    ちょっと札幌 小樽4時間ルートBコース観光プラン 札幌tourist貸切観光TAXI

    • 自然
    • 小樽