北海道小樽観光貸切個人JUMBOTAXI高橋のにしん御殿旧青山別邸おたる貴賓館です。

国登録有形文化財小樽旧青山家別邸は、小樽市祝津に有ります。

小樽には、ニシン漁の全盛期をしのばせる建物が、いくつか残っておりますが、青山家別邸は、その中でも代表的なものの1つです。

カワラ屋根の豪壮な建物で、外観のいたる所に木彫りがほどこされ、内部も「北の美術豪邸」と呼ばれるにふさわしい、すばらしいつくりになっております。

なお、青山家は、安政6年(1859年)からの網元ですが、最盛期のころには、漁場の数10、漁船百数十、漁夫300人をかかえていたそうです。

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時代例

近世から近代

肥料と外貨への需要

この時代は、小樽はもとより『北海道』が否応なく『日本史』に組み込まれて行く時期に該当します。

それは日本という国が蝦夷地(北海道)にある鰊という資源に渇望したからです。

本州では、一定の人口を養うために、これまでは鰯を肥料にして、農産物の収穫を促進していましたが、鰯が段々不漁になってきました。

今日のように化学肥料などない時代ですから、鰯の代替えが求められてきました。

そこに北海道で盛んに漁獲され出した鰊に白羽の矢がたてられいくのです。

鰊は単なる食用のみならず肥料としての需要が投機的価値を持ち、『金肥』と称されるほどの人気商品になっていきます。

鰊に対する特別な需要は、中国北東部からの大豆粕の輸入や次第に商品化されてきた化学肥料などに押され、それと同時に不漁が目立ちはじめた大正後期までの長い間、北海道の横綱的人気商品の位置を保ち続けていきます。

また近代直前には黒船に象徴される外国の脅威に日本は震えていました。

さまざまな運動が国内で展開されますが、明治政府は近代技術を取り入れる方向に走りだします。

しかし取り入れる対象が多い割には外貨があまりにも不足していました。

外貨を獲得するためには外国に売ることのできる商品がなければなりません。

この要望に一役かったのが綿花でした。

そしてこの綿花栽培には鰊粕の肥料が膨大に使われていきます。

このように鰊は『食用』の他に『肥料』という需要に応えるために、大変重要な資源になっていくのです。

北海道の四季

冬の長い北海道は本州にくらべると季節の移り変わりが早く、四季それぞれに趣きを変えて、訪れる人々の旅情をさそっております。

(春)

3月から4月にかけて、雪解け水を集めた川は水かさを増し、野では長い間眠っていた黒い土が顔を出し、フキノトウやフクジュソウが春の訪れを告げます。

街ではまだ雪が残っているうちに、人々は軽やかなよそおいに変え、ほおをなでる春風の完食を楽しみます。

(夏)

美しきもの 皆もろし 鈴蘭の

とく しおかおるが 美しきかな (有島武郎)

5月には桜、スズラン、ライラックなど、北国の花の季節です。

そして夏は青く澄んだ空気に満ちあふれ、緑一色の野山、紺碧の海、原生花園の美しさ、このみずみずしい季節を心から楽しもうと、いたるところでお祭りがくりひろげられます。

港まつり、湖水まつり、火まつり、温泉まつりなど、北海道ならではのロマンの祭典が旅人に忘れがたい思い出を刻むのです。

(秋)

しんとして 幅広き街の 秋の夜の

とうもろこしの 焼くるにほひよ (石川啄木)

8月を過ぎますと、秋が足早にやってまいります。

北国の秋の風物詩は、街角に漂うトウキビのにおい、目に染みるような青い空にすっくと立つポプラの葉ずれの音、そして山の頂から急ぎ足で降りてくる紅葉の燃えるような赤から始まります。

この頃の北海道は山の幸、海の幸の味覚でいっぱい、リンゴ、ジャガイモ、シシャモ、アキアジ、タラバガニ、これらの珍味に舌づつみをうちながら、長い夜のひとときを過ごします。

(冬)

寒い朝、遠くの山々を見ると頂が白く、「ああ冬だなぁ」と心が引き締まります。

雪が降り、そして消え、また降りしきり根雪になります。

根雪が消えるまでの長い冬の間、北国の人々は雪の中で楽しむことを忘れません。

老いも若きもスキーに、スケートにウインタースポーツの花を咲かせます。

今では国際的に有名になった「さっぽろ雪まつり」をはじめとして、道内各地で冬まつり、流氷まつり行われます。

青山別邸

旧青山家は小樽祝津の網元で、明治・大正を通じ、鰊漁で巨万の富を築きあげました。

この青山家が、暮らしの場ではなく客をもてなし自らも楽しむために建てたのがこの青山別邸です。

昭和60年に小樽市歴史的建造物第3号に指定されました。

大正6年から6年半余りの歳月をかけて建築され、大正12年に完成しました。

山形県酒田から宮大工を呼び寄せ、総勢50数名の手により建設されました。

建築の材料も山形県から北前船で運ばれたケヤキをはじめ、ヒノキ・杉などの材料が使われております。

当時のお金で約31万円かかっております。

米一俵(60kg)が2円50銭の時代です。

また、当時ヤン衆の手間賃が3ヶ月働いて80円といわれ、同時期に建てられた鉄骨の新宿伊勢丹デパートが50万円ですから、木造の青山別邸の建築費がいかに莫大ののかがわかると思います。

日本画の島崎藤村、書の中村不折ら著名な画家書家の襖絵や屏風などの書画、骨董品などが当時のまま展示されております。

また、花や鳥などが彫り込まれた紫檀や黒檀をふんだんに使った欄間、クルミと象牙の飾り棚などの芸術品が家のいたるところにおかれています。

約1500坪(4950㎡)の敷地に建つ木造2階建ての建物です。

雪国には珍しい瓦葺きの重ね屋根、軒下の角には組木と樽木を結ぶ「ひよどり線」。

家の中には6畳から15畳のの部屋が18室と、トイレ、風呂、廊下などがあり、まさに金に糸目をつけない豪邸ぶりです。

たぐいまれな美的センスを持つ3代目の娘、青山政恵さんが17歳の時、山形県酒田市にある当時日本一といわれた本間邸に魅せられたことがこの豪邸の発端といいます。

その本間邸に優る建物を建てたいという彼女の想いが小樽に素晴らしい美術豪邸を残しました。

枯山水の庭園

松と玉砂利(岐阜の長良川の自然石)を組み合わせ、和風情緒を醸し出す日本庭園です。

手造りガラス1500枚

当時の手造りガラスが大小1500枚も使われています。

空気が入ったりゆがんだりしているのは、手造りだからです。

囲炉裏の部屋

当時は、薪を燃やして暖をとっていたため、囲炉裏の煙が天井から出るように、ひもを引くと天窓が開くように工夫されています。

また、明かりをとるために吹き抜け西側の天窓にはガラスが使われています。

春慶塗りの廊下

一本杉を用いた約9mの長押(なげし)は丁寧に漆を塗り込んだ春慶塗りです。

まるでお盆の上を歩いているようです。

モダンな洋間

当時では画期的な造りの洋間です。

入り口の額は七段に彫られた本ケヤキを使いドアもケヤキのモザイク仕上げで、窓ガラスには雪の結晶模様が入った手造りです。

たも製の12段階段

孔雀や蝶が羽根を広げた模様を木目で表現したという、名人といわれた大工の棟梁斎藤子之助が

仕上げた美しい階段です。

着物のすそばきがいいように階段が作られています。

トイレの天井にすかし彫

厠(かわや=トイレのこと)天井はすかし彫、便器は有田焼、タイルは手造り、扉の持手は紫檀が使われています。

流しは大理石と御影石をまぜてくり抜いた物を使用しています。

祝津場所を開いた青山留吉は、幼い頃から秋田で漁業に従事していたが、年若くして来道(安政3年)、鰊漁で大をなしました。

また、祝津3丁目にあった青山元場(青山本邸)は、昭和55年4代目馨(かおる)によって北海道開拓記念館に移転されています。

庭には、コスモスや紫陽花が咲いてました。

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