積丹半島送迎観光貸切個人タクシー高橋の北海道積丹郡積丹町『道営野塚野営場』観光案内です。

このキャンプ場は、道営野塚野営場と言います。

平成5年に北海道の補助で施設が整えられ、一度に大勢の人が利用可能なキャンプ場が出来ました。

水道・水洗トイレなども真新しく、積丹半島を訪れる観光客の数は年間94万人(平成9年調べ)と大幅に増加しており、これも最近のマリンスポーツやレジャーブームを繁栄しての事で、この道営野塚野営場も夏の期間は大勢の人々で賑わっております。

しかし、積丹町にとっては誠に嬉しい事と受け止めながらも只一つ、悩みの種は「ゴミ対策」で、海水浴客の帰った後のゴミの山は1年を通して約1000トン、このゴミを処理するのに少なく見積もっても数千万円は掛かるそうです。

積丹はかつては漁業を中心に栄えていた町ですが、現在は観光に依存する度合いが大きく、此れからの町にとって更に観光は重要な存在となることから、「忍の一文字」のゴミ対策を何と町の婦人会の面々が処理にあたっておられます。(現在ゴミは各自でお持ち帰りとなっております。)

「観光客の皆さーん、ゴミの後始末を宜しくお願い致します。」タスキを掛けて街頭に立って頼む話では有りません。

当たり前の常識、モラル以外の何物でも有りません。

ゴミの問題は単にここ積丹半島だけの問題では無く、日本全国の問題なのです。

「雑草からのお願い」

ようこそお越し下さいました。

わが町を、海を、岬を、半島を、

この素晴らしい自然を満喫してお帰り下さい。

お帰りには持って来た物は(お金は別)総て持ち帰って下さい。

持って来なかったものは持ち帰らないで下さい。

残して行ってほしい物は大地に描いた貴方の足跡

持って帰っていい物は旅の写真と思い出だけ、

きっと素晴らしい此れからの人生の語り草となりましょう。

(紫陽花)

積丹町大字野塚

積丹町大字野塚町は、かつて旧入舸村に属していた町です。

野塚とはアイヌ語「ノッカ」が転訛した地名で、「岬の上方にある」という意味で、積丹岬と神威岬のほぼ中央に位置している事から「岬の上方にある」と命名されたと思われ、この他のも北海道各地に見られる地名です。

積丹岳を源を発する積丹川が日本海に流れ込む河口にある町で、石原の続く海岸線に砂浜が点在し、夏は海水浴客で賑わう浜辺です。

鰊漁場として浜は活気にみなぎっていた明治18年、野塚原野に広島県から28戸が入植し、積丹川下流地域の開墾にあたりましたが、未開の原野は痩せ地で、土地の改良にも資金がまま成らず、ほとんどの者は夢破れて帰郷したそうです。

しかし、天方利助、和立久吉の両人は思い留まり、野塚原野の開墾に終始努力を重ねた結果、農耕地帯に生まれ変わったのです。戦後の昭和28年、再び新たな開拓者37戸が入植し、本格的な開発が始まり今日を迎えております。

神威岬が野塚海岸に参りますと突然姿を現し、その突端に凛として立ち尽くす神威岩はあたかも海の巨人を思わせ、西の海に吸い込まれるように姿を消して行く太陽を背に、少しづつ海中に引き込まれて行く岩影を愛おしく見詰め、力強く肩怒らせて立ち尽くす様は、見る者を圧倒するエネルギーを何かしら感じるものが有ります。

遙かなる思いを秘めて立ちつくす

巨岩にかかる夕暮れの霧

伝統の岬に今日も一人来て

偲ぶ乙女の涙雨降る

(紫陽花)

神威岬は積丹半島の北西端に位置する岬です。

古平町から神恵内村に参ります間、岬と名の付く場所は大小13ヵ所ありますが、その中でも神威岬は古くから蝦夷地三嶮地の一つとして、更に、海上交通の難所としても恐れられておりました。

安政2年12月まではこの岬から北は女人禁制でした。

江差追分の歌い文句に

忍路高島及びもないが

せめて歌棄 磯谷まで

と有りますが、神威岬より東海岸、即ち、こちら側には女性を乗せた船は一切来てはならぬというお触れ元禄元(1688年)、松前藩から出されて以来この御禁制は厳しく守られていました。

この裏には松前藩の財政となる蝦夷地で採れる産物の実態を、幕府に知られたくないという思いがあったようで、アイヌとの交易が藩の大きな収入源でしたので、他の和人が奥地に住み着いては困ります。そくで婦女子が同行しなければ定住もしまいと考え、これを食い止めるためアイヌの伝説にかこつけて、「女を乗せた船はカムイの怒りに触れて転覆する」などと、此れを理由に「女人禁制」としたのだと言われております。

何はともあれこの禁制が解かれる時が来ました。安政2年12月と言えば既に幕府直轄になっていた蝦夷地でしたので、箱館奉行は「妻子召し連れ引き移り候うこと勝手たるべし」というお達しを出しました。

そこで安政3年、箱館奉行支配調役・梨本弥五郎は宗谷に赴任する際、妻子を伴ってこの岬を越え様と試みました。

例え迷信と思いながらも岬に差し掛かった時、折しも波荒く「さては神の怒りか?」と恐れのく船子達や妻子を励ましました。

弥五郎はひるむ事無く勇気を出し岬に向かって「国主、今未開の地を開こうとしている。あなたは何の神か?この志を妨げないで下さい。」と船上で何度も叫びながら、波の静まるのを待ちました。やがて何事も無かったように波は治まり、無事岬を交わして宗谷に着く事が出来たそうです。(一説にはこの時、弥五郎は神威岬に矢を放って海は静まったとも言われています。)

勿論それ以来、妻子を伴って岬の北に移住する者が増加し、積丹から石狩に至る海岸線に和人の住む村が多く出来たと申します。

しかし、迷信と言えど何と明治時代に入ってからも、神威岬の魔神伝説を信じる者もいて、岬を越える婦女子は未だ少なかったと言われております。

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