雪あかりの路 です。『小樽個人Sightseeing TAXI高橋』

港町小樽、この古い街並みにをキャンドルの灯火が優しく照らす、冬の風物詩の幻想的なイベント小樽雪あかりの路、メイン会場の旧手宮線会場と小樽運河会場です。😃✌🚕🚖🚕👍

小樽ゆきあかりの路

ゆきあかりの路は、数多くのスノーキャンドルによって街中が装飾される港町小樽の冬の風物詩です。

メイン会場は北海道開拓の玄関口として発展した歴史を残す、小樽運河と旧手宮線です。

昔の漁具、ガラスの浮き球キャンドルが水面に浮かぶ小樽運河は、絶好の撮影スポットです。

雪と気温

北海道はおよそ半年の間、雪と氷に覆われます。

しかし一口に、北海道といっても大変広く、地域によって、雪の量や気温にだいぶ差があります。一般に、雪の多いのは、北西の季節風をまともに受ける日本海側で、太平洋側は雪が少なく、かわりに寒さが厳しくなっています。

初雪は例年、10月下旬から11月初旬にかけてですが、降っては消え、消えては降り、やがて本格的な寒さの訪れとともに、雪はそのまま残ります。これを「根雪」といい、根雪になると冬もいよいよ本番です。

雪雲は、石狩平野のふところ深く入り込んで、大雪を降らせ、この雪に風が加わります。

強い風は雪を舞い上げ、ときには1m先が見えない事もあり、至る所に吹き溜まりを作って、ドライバーたちを悩ませます。

羊蹄山の麓、倶知安町やニセコ町、真狩村、留寿都村、京極町周辺は、北海道でも有数の豪雪地帯ですが、除雪の機械化や、雪をとかす技術が進んだ今でも、本通りから一歩はずれると、山のような雪の回廊が続きます。

寒さの中心は1月下旬から2月に掛けてで、シベリア高気圧が、スッポリと北海道をつつみます。海岸地方はさほどでもないのですが、内陸の盆地や山間部は、マイナス10度以下になるのは普通で、マイナス20度より下がることも珍しくありません。

このような寒さのことを、私たち道民は「シバレル」といっています。「今朝はシバレルねぇ~」とこんな具合です。シバレルと、雪は歩くたびにキュッキュッと鳴り、空中空気が凍って、まるで小さなダイヤモンドのようにキラキラと輝く「ダイヤモンドダスト」と呼ばれる現象が起きます。

寒さの厳しい北海道の冬ですが、吹雪の去った朝、陽の光が、一面の銀世界にキラキラと輝き、ぬけるような青空と、美しいコントラストを描く光景は、北国の冬ならではの景観です。

小樽の気象と四季

小樽市は、北海道西海岸のほぼ中央に位置し、海・山・坂など変化に富み、三方を山に囲まれた自然豊かな天然の良港を有する個性的なまちです。

気候は、北海道の中では寒暖の差が小さい海洋性気候で、住みやすく、春はハイキング、夏は海水浴、秋は紅葉、冬はスキーと四季を通じて楽しめ、また札幌・ニセコ・積丹にも近く、自然環境に恵まれたまちです。

小樽の気候の特徴

小樽は海に面しているので気温の差は小さく、冬は内陸に比べて気温が高くなっています。

年平均気温は9度前後、年間降水量は1200mm~1400mmです。

しかし冬は北西の風が吹いたり、石狩湾小低気圧が発生すると、近隣町村に比べ大雪や吹雪になったりすることもあります。

積雪も2月には1mを越える年もあります。

台風の影響は比較的少ない地域です。

夏の台風シーズンでは日本海を北上する台風がまれに沿岸に上陸することがありますが、小樽付近ではその勢力がかなり弱まって来ることが多いです。

しかし平成16年(2004年)には大型の台風が後志地方を直撃し近隣の農家や建物に大きな被害がでました。

小樽は冬の大雪を除けば地震も少なく、全般的におだやかな自然環境の地域といえます。

〈春〉4月~6月

4月上旬は雪解けで足元が悪い状態ですが、4月後半からは春本番を迎え花が一斉に咲きはじめます。

本州では花の咲く順番がある程度決まっていますが、北海道ではこの時期に梅も桜も同時に咲くことは珍しいことではありません。

さらにチューリップやスイセンなど花々も次々と咲きます。

本州では見られない光景のひとつがこの時期です。

〈夏〉7月~8月

6月下旬から7月上旬に小樽では海開きが行われ、短い海水浴シーズンの到来です。

年間の最高気温もこの頃、30度を超える日があります。

海水浴はお盆の8月15日位までが一般的です。

本州は学校の夏休みが8月末までですが、北海道は夏休みが短いことと、お盆を過ぎると急に涼しくなったり、波が出たりすることで海水浴シーズンが短いのです。

〈秋〉9月~10月

9月になると朝晩は涼しくなります。

しかし近年は温暖化の現象か暑い日が続く年もあります。

10月中旬になると紅葉がはじまります。

市内では朝里峠や毛無山の紅葉が絶景ですが、小樽公園やなえぼ公園も見事です。

近郊ではニセコや積丹方面も美しい紅葉で有名です。

また10月下旬には初雪の季節となります。毛無山や天狗山の頂上が白くなると、いよいよ冬の到来です。

〈冬〉11月~3月

例年、11月の下旬から12月上旬には根雪となります。

年内は比較的積雪は少なめですが1月、2月はドカ雪となり、吹雪の日も多くなります。小樽は古い建物が多い為、雪の重みから建物を守るため、屋根の雪降ろしを行います。

天気の良い日曜日などは、あちこちで一斉に屋根の雪降ろしが行われます。

冬の風物詩のひとつです。

3月、彼岸の頃から雪解けがはじまります。

小樽の歴史

ここ小樽に、和人が姿を見せるようになったのは、今から320年ほど前の寛文9年(1669年)松前藩(氏家氏の知行場所)と、アイヌの人達が交易を始めてからの事です。

しかし、松前藩に雇われた商人や、ニシン漁の人達が、おおぜいやって来るようになったのは、それから100年も後のことで、しかも、当時は、和人の定住を認めていませんでしたので、秋になると、みんな引き上げてしまい、もとの静かなアイヌコタンに戻るという状態でした。和人の定住が許されたのは安政3年(1856年)明治維新のわずか12年前です。以来、地理的条件にもめぐまれて、発展して来ました。

小樽の味、小樽は港町と言う事からでしょうか、飲食店の多い所でが、飲むにしろ、食べるにしろ、安くて美味しく😋(^_^)v、しかも人情こまやかな所と言われています。おなじみさんが転勤ともなれば、一晩中店を閉めて送別会をしてくれるお店も有りますし、札幌からタクシーに乗って来ても、ススキノで飲むよりずっと安くあがるそうです。

小樽の味は、何と言っても海の幸です。例えばお寿司、地元の人に言わせますと、最近は少し値上がりしたようですが、それでも、ネタの新鮮さと味の良さ、値段の安さは、函館とならんで話題になる所です。

また、ニシンやイカを、目の前で焼いていただく炉端焼きの素朴な味等、小樽は新鮮で豊富な食材を、いろいろな食べ方で楽しませてくれます。

小樽運河

埋め立て式運河

運河というと、一般的には陸地を掘った水路と考えますが、小樽運河は掘り込み式ではありません。

海岸から一定距離の海面を残し、その先を埋め立てるという物です。

その結果できた水路で、埋め立て式運河と称されました。

明治になって小樽の海岸は堺、港、色内、南浜と次々埋め立てられ行きました。

その先の海面埋め立ては明治32年(1899年)以来、事業主体や計画などをめぐっていろいろともめ、道庁から最終時に許可されたのは明治41年でした。

この時の計画は、埠頭岸壁方式でした。

さて、いざ着工の段階になりましたが、今度は起債が思うようにつきません。

スタートを一年延期しているうち、明治42年7月、欧米の港湾視察から帰国した広井勇工学博士が「小樽の場合、貨物の種類、荷造りなどからみて、埠頭岸壁式より、ハシケを利用する運河方式の方が良い」との意見を発表します。

広井勇氏はこれより一年前、小樽港北防波堤を築造、完成させ、東大教授という権威者でした。

港湾の神様の意見により、新しい埋め立て計画は埠頭岸壁式から埋め立て式運河へ、大きく転換することになりました。

小樽運河完成

小樽港の埋め立て事業は、東大教授広井勇博士の意見により明治42年(1909年)、埋め立て運河方式に設計変更されました。

その後、速成派、延期派、さらに埋め立て埠頭岸壁派と依然、意見が分かれてすったもんだの騒ぎのすえ、やっと着工にこぎつけたのは大正3年(1914年)8月のことでした。

埋め立て工事は北の手宮側から4区に分けて行われ、埋め立てが終わったところから逐次これを利用しました。

大正7年8月1日から9月19日まで、2区埋め立て地(現在の北海製罐の場所)で「開道50周年記念博覧会」が開催されました。

小樽というところは埋め立て地ができるとそこで博覧会をやる傾向があり、この博覧会はその第一号といううことになりました。

大正7年12月、第3区に関税支署が建てられました。

当時の写真を見ますと、関税庁舎のすぐわきは埋め立て工事中で、埋め立てるとすぐ併用をはじめたことがわかります。

大正12年12月、4区までの全工事が完了し、幅40メートル、長さ1314mの小樽運河が出現しました。

総工費は190万6096円で、第一次世界大戦によるインフレ景気で、当初予算の2倍近い額となりました。

ちなみに、当時の盛り蕎麦の値段は10銭で、これもかなりの値上げでした。

新しい運河論争

埋め立てか保存か?。

海を埋め立てる方式で造成された小樽運河は、今度はその水面を埋め立てるかどうかで議論がふっとうします。

10数年間に及ぶ小樽運河論争は、理想の都市像そのものを問う問題として、全国的に注目を集めました。

埋め立て問題の発端は、小樽市が昭和41年に決定した全面埋め立ての都市計画を決定。

都市交通の将来に対処して6車線の自動車道(道道小樽臨港線)を建設することにし、そのルートの一部に当たる運河部分680mを埋め立てようと言う内容です。

論争に火がついたのは、これより7年後の昭和48年でした。

札樽自動車道出口側から始まった道路建設が、小樽運河南端まで500mほどに迫り、工事のため一部の石造倉庫が取り壊されたことから始まりました。

この年11月、市民有志が小樽運河を守る会を結成、「運河と石造倉庫群はかけがえのい文化遺産。汚れた運河水面をきれいによみがえらせ、新しい都市空間を」と、猛烈な住民運動を開始したのです。

一方、道路建設に小樽の経済復興を託す経済界は昭和52年11月、小樽臨港線整備促進期成会を組織、一大攻勢をかけます。

問題は単に開発・保存の観点にとどまらず「小樽はどうあるべきか」の都市論の領域に広がって行きました。

埋め立ての行方

昭和54年は、運河問題が大きな転換を迎えた年でした。

小樽市は6月、飯田勝幸北大助教授の提言をもとに、全面埋め立てから一部埋め立ての「折衷案」を公表しました。

昭和54年11月、市議会が臨港線促進期成会の陳情を採択、全面保存陳情を不採択とする議会意思をきめました。

一部埋め立てへの転換は、保存派の意向も十分に取り入れたギリギリの選択と同市は説明しました。

翌昭和55年、これに基づく都市計画一部変更が道段階で決着をみました。

しかし昭和56年、57年と、運河問題はさらに激動をたどります。

道が小樽市に提出した公有水面(運河)埋め立て願書に記載ミスがみつかり、書類の作り直し、再出願の事態に、市議会も大モメを繰り返し、埋め立て着工の最終手続きとなる免許交付が、市から道へなされたのは、昭和57年9月までずれ込みました。

昭和41年の都市計画決定から16年がたちました。

これで手続き上は一応、終止符が打たれ、昭和57年12月から埋め立て準備工事となる水底ヘドロの固化作業、昭和58年11月からは本番のクイ打ち工事が始まりました。

しかし、この間の昭和58年8月、小樽商工会議所首脳が埋め立て再検討の意向を明らかにしたことから保存派市民の運動も勢いを増し、運河問題は再び複雑な波紋を広げました。

此方の写真は第18回小樽雪あかりの路です。

新運河の概要

昭和61年、臨港線に沿って長さ650m、水面約20mを残し、全長1140mの運河が完成しました。

平成元年からは北部の散策路などの整備に着工し、水面部分については従来の水面幅40mを確保し、長さ470mの整備を行い平成2年に完成しました。

こうして完成した運河沿いの散策路に、全国でも数少ないガス燈を63基設置しました。

散策路には約90万個の山梨産のみかげ石をイチョウ模様に敷き詰めています。

そのほか、海運、陸運、荷役、産業をテーマに長さ12m、幅80cmのレリーフを4ヶ所に設置しております。

モニュメントは中央橋街園に「ひびき」、色内側下路の散策路に「友達」北浜橋たもとに「カモメを呼ぶ少女」が建っております。

緑地帯には小樽市指定の花ツツジが植えられ、通年観光客で賑わいを見せております。

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