北海道小樽観光貸切個人JUMBOTAXI高橋の『旧三井銀行小樽支店』です。

旧三井銀行小樽支店

小樽の経済活動が活発であった昭和初期、昭和2年(1927)建築、外壁に花崗岩を積み、アーチを連続させ、軒を装飾するルネサンスのデザインで統一していますが、その構造には鉄筋コンクリート造が採用されています。

耐震に優れた鉄骨鉄筋コンクリート構造を曾禰中條建築事務所が設計した理由は、大正12(1923)年に発生した関東大震災によって石造やレンガ造の建築が甚大な被害をうけたためです。

その後、鉄骨鉄筋コンクリート構造は三井銀行名古屋支店、昭和11年(1936年)三井銀行大阪支店、昭和12年(1937年)でも採用され、我が国の高層建築における耐震構造の規範にも発展しました。

現在はニトリ美術館として、再利用されております。

時代例

近世から近代

肥料と外貨への需要

この時代は、小樽はもとより『北海道』が否応なく『日本史』に組み込まれて行く時期に該当します。

それは日本という国が蝦夷地(北海道)にある鰊という資源に渇望したからです。

本州では、一定の人口を養うために、これまでは鰯を肥料にして、農産物の収穫を促進していましたが、鰯が段々不漁になってきました。

今日のように化学肥料などない時代ですから、鰯の代替えが求められてきました。

そこに北海道で盛んに漁獲され出した鰊に白羽の矢がたてられいくのです。

鰊は単なる食用のみならず肥料としての需要が投機的価値を持ち、『金肥』と称されるほどの人気商品になっていきます。

鰊に対する特別な需要は、中国北東部からの大豆粕の輸入や次第に商品化されてきた化学肥料などに押され、それと同時に不漁が目立ちはじめた大正後期までの長い間、北海道の横綱的人気商品の位置を保ち続けていきます。

また近代直前には黒船に象徴される外国の脅威に日本は震えていました。

さまざまな運動が国内で展開されますが、明治政府は近代技術を取り入れる方向に走りだします。

しかし取り入れる対象が多い割には外貨があまりにも不足していました。

外貨を獲得するためには外国に売ることのできる商品がなければなりません。

この要望に一役かったのが綿花でした。

そしてこの綿花栽培には鰊粕の肥料が膨大に使われていきます。

このように鰊は『食用』の他に『肥料』という需要に応えるために、大変重要な資源になっていくのです。

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