北海道小樽『祝津鰊御殿』観光案内です。【北海道小樽観光貸切ジャンボタクシー高橋】

にしん御殿(北海道指定有形文化財)

北海道指定有形文化財・にしん御殿

この建物は、昭和33年北海道炭鉱汽船株式会社が積丹の泊村にあった漁場建築物を解体して当地に移転後、小樽市に寄贈されたもので、昭和35年5月31日「北海道有形文化財・にしん漁場建築」として、本道の民家でははじめて文化財に指定されました。

本鰊御殿内には鰊漁や鰊加工に使われた道具類をはじめ、鰊番屋で生活していた人々の生活用具や写真等を展示しています。

建物の由来

積丹半島を中心とした日本海沿岸地域で、かつて鰊漁全盛の頃(網をひと起し、千両万両と言われた明治・大正時代)に、数多くの豪勢な鰊漁舎が建築されました。

この建物は、その中の元屋の一つで、泊村の鰊網元、田中福松氏が明治24年から7年かけて明治30年に竣工したもので、平成9年には、築100周年を迎えました。

現存する建物の中では大規模であり、かつ明治時代の原形をとどめており、華やかな往時を偲ぶ貴重な鰊漁場建築であります。

当時の漁業状況

元来この建物をとりまいて鰊漁場特有の漁舎である網倉、倉庫など数棟が建てられており、この田中漁場の全盛期には120人位のヤン衆(漁夫)が、ここに寝泊まりし漁期外でも越年仕事のため30人程度は常駐していたと伝えられております。

建網15ヵ統~18ヵ統を営んだ田中番屋のヤン衆は1ヵ統35人~40人位でしたので、鰊漁期には地元の手間取り等を数えるとその使用人は大変な人数となりました。

建物創建者

当時鰊大尽と呼ばれた積丹地方有数の鰊網元・田中福松氏は、青森県津軽郡蓬田村在住の田中吉兵衛の次男として生まれ、17才の時(安政元年)叔父の武井忠兵衛(積丹の古宇場所支配人)を頼り漁夫として来道しましたが、程なく独立して鰊刺網から漸次大規模な建網漁業(定置網)へ移行し、その漁獲は実に1万石(200貫、7500t)ともいわれました。

構造

一部2階建で、総面積は611.9㎡(185.1坪)を誇り、基本的は北陸・奥羽地方の切妻造の民家様式が採用されています。

主な特徴としては、大屋根中央に形良く乗っている入母屋造の煙出し、伽藍調を帯びた大屋根の庇、正面玄関の円屋根と直線の小庇との対照、脇玄関の庇を支えている像鼻等があり、いずれも民家には珍しい建築様式となっております。

建築用材

主として「たも」「せん」「とど松」等の道産原木や弁財船で東北から取り寄せた檜等約3000石(540t)が使われています。

仮に、この材料を使用して30坪の家を建てるとすると20軒分建てることが可能です。

いかに木材豊富な時代とはいえ、長大な木材をふんだんに使ったその時代の鰊場親方の豪放さ、神経の太さに驚かされます。

祝津・ニシン御殿

このニシン御殿は、以前、積丹半島西海岸の泊村にあったニシン場の親方、田中家の番屋で、昭和33年ここに移されました。

”番屋”とは、北海道独特の呼び名で、もともとは、松前藩時代の漁場の支配所で、運上屋の出先機関でしたが、のちに、ニシン漁を行う住居を指すようになりました。

そして、この番屋が中心になって、網倉や倉庫が幾棟も建っていたのです。

ところで、この田中家は、積丹半島屈指の大親方で、たくさんの漁場を経営し、漁獲高は、じつに1万石(7500t・4000万匹)を誇っていました。

全盛期には、120人の漁夫たちが寝起きしていたそうです。その田中家が、明治24年から、7年がかりでつくりあげたのがこの建物で、ほとんどが、北海道産のタモ、トドマツ、センなどの原木、3000石(1石は0.28㎥)を使っております。

これを仮に、15坪のマイホームを建てたとすると、40戸は出来ると言う事です。

大屋根の中央の”煙だし”も、天守閣のような形をしていますが、中に入って、吹き抜けの天井を仰ぎますと、1尺から2尺(30㎝~60㎝)もある荒削りの角材が、ふんだんに使われていて、ニシン場の親方が、いかに裕福であったかが、おわかりいただけるかと思います。

ヤン衆たち

3月末、産卵のためニシンの大群が浜へ押し寄せます。

これを群来というのですが、このニシンを待ち受けて、沖合に建網が張られます。

網1カ統について20人~30人の漁夫を要したと言われています。

明治20年代、小樽の建網は約200カ統だったので、漁夫の数も5000人を超えただろうとおもわれます。

これらの漁夫は、各漁業者雇付の船頭(青森、岩手、秋田地方の人が多かった)に伴ってやって来た人が大半で、いわゆる「ヤン衆」(雇い衆、やんちゃな者などが語源とされていますが、定説は有りません。)と呼ばれる人々です。

2月頃きて、準備作業をし、漁期が終わって後始末が済んだ6月頃、帰郷するのが普通でした。

給金は階級によって差がありますが、格の高い船頭で一漁期につき50円、平雇では20円というのが相場だったそうです。

このほか「九一」の制度があって水揚げの1割が漁夫に配分される制度もありました。

漁の多宴や魚価によるから、この分配金もバカにならないのです。

旅費、食事は雇い主持ちだから、給金や分配金はそっくり残る勘定になります。

なにしろ盛り蕎麦1杯が1銭(明治19年の小学校教諭の初任給は5円)という物価の時代だから、出稼ぎとしては結構な金額だったといえます。

北海道の開拓は、漁業からはじまったと言われていますが、ここ祝津も、徳川時代から明治にかけて、ニシンの千石場所として栄えました。

ニシン漁といいますと、小規模な漁業のように思われがちですが、当時のニシン漁は、たくさんの人と、たくさんのお金が必要とする大事業で、誰もが簡単に出来るわけではありませんでした。

海の色が、白く変わるほど押し寄せるニシンをとり、本州に送って大儲けしたのは、ごく少数の限られた人達だけでした。そして、これらの人達が、自分の力を示そうとして建てたのが、いわゆるニシン御殿と呼ばれるものです。

御覧いただきました、豪壮な建物もその1つで、北海道各地、とくに、日本海沿岸に多く残っております。

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