積丹半島観光TAXI 8時間ゆったり満喫プラン 積丹ブルールート観光コース

上の写真は積丹半島に有る、積丹窓岩です。
積丹窓岩の窓向こうに飛んでいるカモメが見えると良いことがあるそうです。
積丹半島観光案内は、積丹半島観光貸切ジャンボタクシー高橋がご案内いたします。

コース例

小樽駅or小樽市内ホテル~カトリック富岡教会~旭展望台~マッサンの余市ニッカウィスキー工場~オチガビガーデン~美国観光船~積丹岬~神威岬~鰊御殿とまり~岩内~小樽市内各ホテルor小樽駅

お客様のご要望で自由に変更出来ます!

料金

小樽市~余市町~積丹半島一周ゆったり観光貸切チャータータクシー8時間Aコース

普通車タクシーお客様4名まで乗車可能 1時間6300円×8時間=50400円

ジャンボタクシーお客様9名乗車可能 1時間8940円×8時間=71500円

(※有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれません)

観光スポット案内

積丹岬

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積丹半島の先端はカタツムリのツノのように、積丹神威岬と積丹岬が突き出ていますが、イリカはその一つ、積丹岬にいだかれた小さな漁村です。
市街から積丹岬へは簡単に行くことが出来、遊歩道の散策や、積丹島武意海岸の絶景もお楽しみいただけます。

また、積丹島武意海岸へは、地下水のしたたり落ちる素掘りのトンネルを通って行きますが、暗いトンネルを抜けると、そこは青一色、ファンタジーの世界に飛び込んだような素晴らし景観です。
写真は日本の渚100選、積丹岬島武意海岸の積丹ブルーの海です。

神威岬

積丹カムイ岬3 女人禁制の門

積丹半島神威岬には現在落石で危険なため、通行止めになっている積丹念仏トンネルが有ります。
以前は真っ暗な積丹念仏トンネルを通って積丹半島神威岬の突端へと向かっておりました。
このトンンネルが掘られたのは1つの海難事故がきっかけとなっております。
大正元年10月積丹神威岬灯台に勤める職員の家族が買い物をして岩場を伝って家に戻る途中、波にさらわれて行方不明になりました。
いつまでたっても帰らないので、手分けして探したところ、岩場に漂っている遺体を発見したのです。

涙ながら葬儀を終えた灯台の職員や家族たちは、再び悲しい事故が起きないためにも、断崖にトンネルを掘ろうと言う事になりました。
職員たちは仕事の合間をみつけては、波しぶきのたつ断崖に張り付いて、最も危険な神威岬に通じる断崖を両側から掘り出しました。
掘り出してどの位たったでしょう。

どこからか誰かの叫ぶ声がきこえたのです。
それは亡くなった人の声のようでした。
ところが両方から掘ってもう何か月にもなるのに、どうしたことか貫通しないのです。
職員たちが調べた結果、掘った穴が大きくずれている事がわかりました。
「仕方がない、途中から曲げて結ぼう」と片方から右折する形で掘りぬきました。

わずかにずれていると思っていたのが、かなり大きく食い違っておりました。
トンネルが出来波打ち際の通行が便利になりましたが、人々はここを通るとき、亡き人をしのんで念仏を唱えながら歩きましたので、念仏トンネルになったとか、また、一説には暗闇で恐ろしくてたまらないので、念仏を唱えながら通った事から念仏トンネルと呼ばれるようになったとも呼ばれております。

積丹半島神威岬と積丹神威岬灯台です。
積丹ブルーの海も大変綺麗です。
積丹女人禁制門みえております。
積丹神威岬の婦女通行の禁、積丹神威岬付近は、天気の良い日でも波の高い事が多く、昔は、少し荒れだすと、小さな船ではなかなか通ることが出来なかった難所で、蝦夷三険岬(茂津多・神威・雄冬)の1つに数えられていたところです。
ところで、松前藩時代には、この岬から北へは、女性が行くことを認めておりませんでした。

それは松前藩ではこの積丹神威岬から北は、和人の定住を禁じていて、そこに女性が入ると言う事は、定住を意味したからでした。
和人が、交通の不便な奥地に、どんどん入るようになっては、藩の力で、とても取り締まる事が出来なくなるからです。

したがって、奥地に入るのは、ニシン漁に行く男だけに限られていて、恋し人との別れを惜しむ、妻や恋人の思いが、「恨みますぞえ、お神威さまは、なぜに女の足止める」「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と、追分節にもうたわれています。
この女人禁制の掟が解かれたのは、安政3年(1856)、蝦夷地を幕府が直接おさめるようになった翌年の事です。
宗谷へ赴任するお役人、梨本弥五郎が、初めて妻子をつれて、この岬を通過しております。

泊村・鰊御殿

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積丹半島のニシン漁で栄えた、いにしえの村、積丹半島泊村そこには貴重な文化遺産が広がる。
写真は鰊御殿とまりです。

かつてニシン漁でさかえた積丹半島泊村、その当時の繁栄と歴史を伝える施設です。
並ぶ建物は明治27年(1894)に建設された「旧川村家番屋」と大正5(1916)年頃に建てられた「旧武井邸客殿」そして付属するレンガ造りの蔵で、二つの建物は渡り廊下でつながっており、当時の様子を伝える貴重な資料が展示されております。泊村有形文化財指定

余市町ニッカウヰスキー北海道工場

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上の写真は余市町に有る、余市町ニッカウヰスキー北海道工場です。
ウイスキーのモルト、すなわち原酒を作っているところです。
お酒は、お水と気候の良いところに美味しいものが生まれるといいますが、余市町は三方が山、一方は海に囲まれ、余市川の清流と、澄んだオゾン、温度・湿度など、スコッチの本場、スコットランドそっくりなのだそうです。

ニッカウヰスキーの生みの親は竹鶴政孝さんですが、竹鶴さんは、スコットランドで醸造学を勉強、帰国後、入社した寿屋(現在のサントリーウイスキー)で、昭和4年、国産第一号のサントリーウイスキーを誕生させました。
その後独立して、かねてから白羽の矢を立てていた余市町に工場を建て(昭和9年)、リンゴジュースなどを作りながら、ウイスキーの熟成を待ち、ニッカウイスキーを世に送り出したのは、昭和15年のことです。

なお、ニッカの名前は、以前の会社名、大日本果汁の略、大日本の「日」と、果汁の「果」からとって[ニッカ]と名付けたということです。

余市町

余市町は積丹半島の付け根に位置し、変化に富んだ富んだ美しい海岸線はニセコ・積丹小樽海岸国定公園に指定され、温暖な気候は農業を育て、人を育み、日本海に面している事から漁業の町として歩んで来ました。

農業の主役は余市リンゴに代表される果樹栽培で、郊外の緩やかな丘陵地や平地には春は春蘭豪華に花が咲き、あたかもウィーンの郊外を思わせる風情は異国情緒を掻き立ててくれます。

又、夏から秋に掛けては色々な果物が枝もたわわに実り、大勢の観光客が北海道有数のフルーツの町に訪れて参ります。

観光と言えば果物目当てのお客様ばかりではなく、日本のウィスキーを代表する「ニッカウヰスキー北海道工場」には年間を通じて約40万人もの観光客が見学に訪れ、余市町の観光のシンボル的存在になっています。

今、この町が目指しているのは「田園小都市」という新しい街づくりで、「はばたけ余市21世紀」をスローガンに市街地の再開発に乗り出しています。

小樽富岡カトリック教会

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小樽市富岡に有る、小樽富岡カトリック教会です。
昭和4年に、ドイツ人宣教師の設計・指導で建てられた、小樽カトリック富岡教会です。
ツタにおおわれた天主堂、ステンドグラスをはめ込んだ飾り窓、アーチ型に石を組んだ玄関など、ロマンチックな香りただよう教会です。

なお、このあたりは、亡き石原裕次郎さんが(3歳~8歳までの)少年時代をすごしたところです。
となりの写真は小樽公園から小樽港を望んだ写真です。
小樽公園は、小高い丘の上につくられた、緑の多い公園で、北海道でただ一つの能楽堂をはじめ、市民会館や体育館、図書館・公会堂・野球場などが点在します。

また、15種類7000本のツツジが植えられていて、花の季節は、目も覚めるばかりの美しさです。
このツツジは、小樽市の「市の花」に選ばれていますが、庭木が「市の花」になっている珍しい例です。

北海道の方言

北海道の方言についてお話いたしましょう。

「言葉はお国の手形」とかいいますが、言葉には、生まれ育った土地のナマリや特徴があり、その人の故郷がわかるようです。

北海道には明治の初め、東北はもちろん、日本各地から大勢の人たちが移り住み、それぞれ出身地の言葉で話していました。

しかし、言葉がちがうと気持ちの通じないことも多く、月日を重ねるごとに、次第にお国言葉は姿を消して、標準語に近い、北海道の共通ごが生まれたのです。

標準語に近いとは言っても、北海道の風土に育った言葉も残っておりますので、いくつかご紹介致します。

代表的なものに「シバレル」という言葉があります。

「今朝はシバレルねー」とか「水道がシバレル」などと、きびしい寒さのことを表現します。

気温がマイナス10度~20度にもなりますと、「寒い」とか「凍る」などといった言葉ではいいつくせないのです。

また、「気持ちが良い」とか「ゆったりする」という意味で「アズマシ」という言葉があります。

旅行などから戻ってきて「あぁ我家はアズマシイね」とか、乗り物に乗ったとき、気づかいをせずに、スムーズに座れた場合には「アズマシク座れるね」などといいます。

そのほか、夢中になって何かを行うことを「ハッチャキになる」、物を交換することを「バクル」、徒競走などの最下位を「ゲレッパ」、捨てるを「なげる」など、本州のお客様にはわからない言葉も結構あるようです。

言葉は同じですが、意味や使い方がちがうものもあります。

北海道では疲れたときに「あぁ、コワイ」といいますし、手袋をハメルのを「手袋をハク」といいます。

このほか、シシャモ(柳葉魚)、マキリ(小刀)、トッカリ(アザラシ)、チップ(ヒメマス)など、アイヌ語がそのまま使われたり、明治の初め、外国から入ってきた「プラオ」「サイロ」などの外来語が今なお残っております。

 

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