北海道観光貸切チャーターTAXI 道南観光プラン

3日間Aコース

1日目 小樽駅or小樽市内ホテルor小樽港フェリーターミナル~赤井川村キロロリゾート~余市ニッカウィスキー~札幌市内宿泊

2日目 札幌~ルスツリゾート~サイロ展望台~洞爺湖昭和新山~大沼~函館市内観光夕食~函館山夜景観光~函館市内宿泊

3日目 函館~函館市内観光~函館空港or新函館北斗駅

(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)

時間内コース変更可能です。(^_^)v

逆コースも出来ます。

3日間Bコース

1日目 札幌市内各ホテルor新千歳空港~支笏湖~ウポポイ『民族共生象徴空間』~登別地獄谷~登別温泉or洞爺湖温泉宿泊

2日目 登別温泉or洞爺湖温泉~洞爺湖昭和新山~大沼~函館市内観光夕食~函館山夜景観光~函館市内宿泊

3日目 函館~ニセコ(熱気球体験or乗馬体験orラフティング体験)~余市ニッカウィスキー工場~小樽駅or小樽市内各ホテル

(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)

時間内コース変更可能です。逆コースも出来ます。(^_^)v

料金

ジャンボタクシー お客様最大9名迄乗車可能です。(人数割りするとお得で~す。)(^_^)v

1日観光貸切(7時間)¥62580~ 延長料金(1時間)¥8940~ (30分ごと)¥4470

1日の観光貸切時間で若干料金変動有ります。(夜景観光は別料金となります。)

(高速道路・駐車場料金別)

普通車タクシー お客様4名迄乗車可能です。

1日観光貸切(7時間)¥44100~ 延長料金(1時間)¥6300~ (30分ごと)¥3150

1日の観光貸切時間で若干料金変動有ります。(夜景観光は別途料金となります。)

(高速道路・駐車場料金別)

函館山夜景

上の写真は函館山からの100万ドルの夜景です。
函館市の歴史、函館の「函」の字は、明治になってから改められたもので、それまでは箱根の「箱」という字を使っておりました。
今から550年ほど前、このあたりの豪族だった河野政通が、函館山の麓に館を築いたとき、その館が、箱のような形に見えたところから、「箱の館」箱館と呼ぶようになったといわれています。
江戸時代には現在の松前、当時は福山といっていましたが、この福山に本拠を構えていた、松前藩の番所となり、江差や福山とならぶ「松前三湊」の1つとして栄えました。
江戸時代も後半、幕府が松前藩にかわって、直接蝦夷地をおさめることになり、この函館に奉行所を設けました。
千島列島ぞいに、ロシアの勢力が南下しはじめ、いろいろな事件が起こるようになったからからです。
伊能忠敬が蝦夷地を測量したり、高田屋嘉兵が、択捉島への航路を開くなど活躍をしたのは、ちょうどこのころです。
こうして、蝦夷地の中心となった函館は、急速な発展を遂げ、安政2年(1855年)に、外国船が使う薪や水、食糧などの供給地として港を開き、続いて、4年後の安政6年には、長崎・横浜とともに、日本初の貿易港となってからは、外国船の往来がはげしくなり、領事館も置かれて、多くの西洋文化が流れ込みました。
函館奉行も、積極的にこれを取り入れて、諸術調所という、研究教育施設をつくって、新しい知識を勉強しようとする、若者達の要求に答え、医学所をつくり、中川五郎治に、日本で初めての種痘を行わせたりしています。
やがて明治維新をむかえ、新政府は、函館奉行の仕事を受け継いで、北海道開拓の計画を進めました。
しかし、このとき、榎本武揚の率いる幕府脱走軍が五稜郭を襲い、箱館戦争がおこります。
明治元年から明治2年かけてのことでした。
その後、政治の中心は札幌に移ってしまいましたが、北海道の海の玄関口として、重要性は変わることなく、今日まで発展を続けてきました。

大沼公園

大沼より駒ヶ岳4_2大沼千の風になってのモニュメント

標高1131mの駒ケ岳と大沼、駒ケ岳の噴火で流れ出た泥流や岩石が折戸川をふさぎ水がせき止められて出来た湖で、周囲24㎞水深13.6m81個の島が有る大沼です。

函館山展望台・トラピスチヌ修道院・五稜郭タワー

 

CIMG1268CIMG0660函館トラピスチヌ修道院1bCIMG1248

トラピスチヌ修道院、トラピスチヌとは女子のことで、男子の修道院はトラピストです。
トラピスチヌ修道院は明治31年、ローマカトリック・シトー会の、8人のフランス人修道女によって創設された、日本初の女子修道院で、正しくは、「天使の聖母トラピスチヌ修道院」といいます。
このシトー会という組織は、宗教活動をするためのものではなく、[生活のすべてを神に捧げ、祈りと労働の日々を過ごすことで神と人々に奉仕する]ことを目的にしています。
ですから、その戒律も厳しく、貞潔(操が固く、行いが潔白)清貧(行いが清らかで、貧しい生活にも満足)従順(素直)の3つの誓い(3誓願)のもとに、修道女たちが信仰生活をしています。
毎日3時半起床、お祈り、読書、ミサのあと食事、8時過ぎから労働を始めます。
50haの敷地では畑作、牧畜などの作業を行い、バター飴、クッキー作りに精を出しております。
また、冬はペンダントや手芸品などを作ります。
夜、床に就くのは19時45分、これが修道女たちの静かで落ち着いた日課です。
この修道院には、誰でも入れるわけではありません。
カトリック信者であることはもちろん、洗礼を受けてから、3年以上たった未婚の女性、年齢は普通23歳~30歳位まで、両親の承諾と教会の推薦があることなどが、条件になっています。
いずれにしましても、修道女になるには、人柄はもとより、正しい心と強い意志が必要で、ただ単に失恋したからとか、生活に疲れたからという理由だけでは、生涯をここで暮らすことは出来ません。
(静かなる 青き 一日の 暮れゆきて 聞くはよろしき アンジェラスの鐘)
と歌人の与謝野晶子はうたっております。
なお、ここで自給自足できるもの以外、生計はすべて修道女たちが作る、お菓子や手芸品などの収入でまかなわれています。
写真は函館山の昼間の景色と、2006年(平成18年)完成の避雷針まで107m建物本体98m展望2階床面高さ90mの五稜郭タワーです。

登別温泉地獄谷・洞爺湖昭和新山

CIMG0650登別地獄谷1cCIMG0673昭和新山1a

上の写真は登別温泉地獄谷、大昔の爆裂火口の跡といわれ、温泉の湯元であり、登別の観光名所ともなっております。
大地獄、鉄砲地獄、奥地獄などと名付けられた噴気孔が点在し、硫黄の匂いに満ちた谷底からは、ガス(硫化水素ガス)や熱湯が噴出し、いかにも地獄の名にふさわしい所です。
右の写真は世紀の奇蹟、昭和新山、昭和18年暮れもおしせっまった12月28日、このあたりは、激しい地震に襲われました。有珠山が明治43年の爆発以来、33年ぶりに活動をはじめたのです。
この地震とともにはじまったのが、土地の隆起でした。
50数件の家と広い麦畑が、毎日少しづつ盛り上がり、翌年の5月には、50mほどの丘になってしまいました。
そして6月23日、この麦畑の丘が、遂に大爆発を起こしました。
爆発は10月まで17回もつづき、とくに、爆発の激しかった時には、岩石が1㎞四方にも飛び散り、幸い、死傷者はありませんでしたが、裾のいったいの人々は恐怖の毎日でした。
この爆発の間も土地の隆起はつづき、12月上旬、白煙をあげる火口の中央から、遂に、真っ赤な熔岩塔が、ゆっくりと地上に押し上がって来ました。
そして、それは1日に1mから1m半の速さで盛り上がり、昭和20年9月、ピタリと活動を停止した時には、周囲4.6㎞、標高406.9mの火山になっていたのです。
その期間わずか1年9か月の出来事でした。
かざんは、そのできかたや、形によって色々分類されますが、この昭和新山のように、熔岩だけが固まって出来た山は、現在、世界でも例がなく、昭和32年、国の特別天然記念物に指定されております。

白老ポロトコタン・アイヌ民族博物館

 

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国立アイヌ民族博物館とは

アイヌ民族は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族で、日本の多数者である和人とは異なる言語や文化、歴史を待っております。

民族名称「アイヌ」という言葉は、「人間」などを意味するアイヌ語です。

この博物館は、アイヌの誇りが尊重される社会をめざし、多くの人にアイヌの歴史や文化を伝え、アイヌ文化を未来につなげていくために設立されました。

この博物館では、アイヌだけではなく、さまざまな文化をもった人たちがともに働いていますが、これから御覧いただく基本展示室は、「私たち」という切り口で、アイヌ民族の視点で語る構成になっています。

「ことば」、「世界」、「くらし」、「歴史」、「しごと」、「交流」と、大きく六つのテーマに分け、過去から現在までを一体的に紹介しています。

白老町アイヌ民族博物館白老ポロトコタンとチセ(家)白老アイヌコタンは、アイヌの人達の生活や、文化を広く知っていただけるよう、家(チセ)祭壇(ヌサ)墓標などを再現しています。
コタンは「集落」とか「村」の意味ですが、入口には、旅人の安全を祈る高さ16mの大きな村長の像が建っています。
コタンの中にある「アイヌ民族博物館」には、代々伝わる宝物や、生活用具など1300点あまりが展示されています。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所

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ニッカウィスキー余市工場、日本初のウィスキーは昭和4年寿屋(現サントリーウィスキー)で竹鶴氏らによって作りだされました。
その後三方が山にかこまれ、一方は海、余市川の清流やピート(泥炭)があり1年を通しての温度、湿度が、スコッチウィスキーの本場スコットランドとそっくりだった所から、かねてから目を付けていた余市に工場を建てたのがニッカウィスキーのはじまりです。
昭和9年リンゴジュースを作りながらウィスキーの熟成を待ち昭和15年ニッカウィスキーを送り出しています。
社名の由来はリンゴジュースを作っていた時の大日本果汁株式会社の日本のニチと果汁のカをとってニッカウィスキー株式会社となりました。

ニセコラフティング・ニセコ駅・ニセコアンヌプリ・道の駅ニセコ

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ニセコ町、「スキーのメッカ」として、全国に知られておりますが、町の名がカタカナというのも珍しく、滋賀県マキノ町と、ここの2か所だけです。
また、同じようにカタカナを使ったJRの駅は、このニセコ、マキノの他に、北海道にあるトマム駅があります。
稲作や馬鈴薯、ビートなどの農業が中心で、酪農もさかんな所です。
ちなみに、ひらがなは北海道にえりも町があり、他に、むつ市(青森県)いわき市(福島県)えびの市(宮崎県)などです。
上の写真はニセコ、ラフティング尻別川で行いますがスリル満点で楽しいです。
その下の写真はJRニセコ駅前のハロウィーンの風景です。
山の写真は標高1308mのニセコ連峰の主峰ニセコアンヌプリです。
となりが道の駅ニセコです。

キロロリゾート・山中牧場ソフトクリーム・道の駅赤井川

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赤井川村、四方を山々に囲まれた「カルデラ」状の地形をなしています。
気象条件は盆地特有の内陸型気候で、冬の積雪は多く、北海道内で有数の豪雪地帯です。
市街地でも最大170㎝にもなります。
上の写真は「大雪」を利用した「キロロリゾート」です。夏は気温が上がりますが、昼夜の寒暖の差が大きく、果菜類の栽培に適しています。
赤井川村では農業が盛んで、中でもメロンやスイカは甘くて美味しいと評判です。
赤井川村の主産業は、農業と観光業です。農産品の品目は多岐にわたり、北海道で栽培できる農産物は何でも出来るといわれています。
作付面積が多い品目は、米、馬鈴薯、南瓜、スイートコーンなどです。
現在は、冬期間のウィンタースポーツだけでなく、ゴルフやテニスをはじめ、パークゴルフなど夏期の観光客もふえています。
また、平成3年にはスキー場を中心としたキロロリゾートがオープンし、観光・サービス業の就労者も増加しています。
赤井川村はアイヌ語「フレ・ぺツ」(赤い川)を意味したものです。
上の写真は美味しいソフトクリームで有名な山中牧場です。
その下の写真は道の駅赤井川です。

支笏湖

支笏湖は、恵庭岳・風不死岳・樽前山などの山々に囲まれた、今も原始林の姿を残す支笏湖です。
支笏湖は、周囲41㎞、面積77.3㎡、水深360.1㍍の、広く深い湖で、広さは全国で8番目、深さは秋田県の田沢湖についで2番目となっております。
また、同じ国立公園の湖であっても、女性的でやさしい洞爺湖にくらべて、支笏湖は荒々しく、男性的な感じがいたします。
そして、原始林に抱かれた湖は、近寄りがたい趣があり、それが支笏湖をより一層魅力あるものにしています。
今から2万年ほど前、火山活動によって土地が陥没し、そこに水がたまったもので、このような湖をカルデラ湖と言います。
カルデラとは、スペイン語で、「お鍋」と言う意味ですから、本当に大きなお鍋です。

北海道の地名

北海道には面白い地名がたくさんあり、そのほとんどはアイヌ語がもとになっています。

例えば「長・万・部」と書いてオシャマンベ、「美しい唄」と書いてビバイなど、数え上げたらきりがありません。

こういった呼び方を調べていくと、アイヌの人達がどれほど自然をよく観察して、地名をつけたのかが解ります。

そこが乾いた広いところなら「乾いた広い所」と呼び、河口が滝になっている川なら「出口が滝の川」と呼んで、よけいな形容詞をつけたりはしません。

小さなグループ生活を営んでいたアイヌの人達にとっては、そのグループだけがわかる、簡単な呼び名をつけただけで十分だったのでしょう。

今も残るアイヌ語の地名から、かつてのアイヌの人達の生活文化や自然の状態がわかるということは大変貴重なことだと思います。

ところで「北海道」の名付け親は松浦武四郎ですが、北海道の由来もアイヌ語から来ています。明治2年、新政府は「エゾ」を「北海道」に改めましたが、これは幕末に数回にわたって北海道を探検し、アイヌ民族にも深い理解を持っていた武四郎の考えが採用されたのです。

武四郎は「日高見」「北加伊」「海北」「海島」「東北」「千島」の6つの原案から「北加伊」を取り上げましたが、その理由は「アイヌ民族は自らの国をカイまたはカイノーと呼んでいた・・・」というのがヒントになったそうです。

また、「北加伊」が北海道に変わったのは、おそらく平安時代に全国を区分した名称の「東海道」や「東山道」などからきているのではないかと言われています。

北海道の地名はアイヌ語がもとになっているものが多いことはご紹介した通りですが、「北海道」もその仲間であることは余り知られておりません。

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