【女満別・網走・知床】女満別・網走・知床観光案内です。


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上の写真は知床観光船おーろら号です。1時間30分の硫黄山折り返しコースと、3時間45分の知床岬コースがございます。知床半島のダイナミックな断崖や奇岩、海原に舞う海鳥の群を眺めながら、地上とは全く違った表情を見ることができますし、少し沖に出ますとイルカやシャチなどの動物ウォッチングが楽しめます。また、海上から眺める知床連山は雄大の一言です。知床の海上観光、知床半島の雄大な沿岸美は、船からの眺めをおすすめいたします。海岸は、斧で削ったかのような断崖絶壁が続き、わし岩・獅子岩・たこ岩・念仏岩・観音岩など、それぞれ、由来や伝説を秘めた奇岩が連続します。断崖にかかる滝は、その数、数十といわれ、中でもカムイワッカの滝、カシュニの滝は有名です。また、断崖に集まる海鵜、海ガラス、オオセグロカモメをはじめとする海鳥たちの群、岩礁で遊ぶトド、アザラシ、オットセイの姿は、人を寄せ付けない大自然のドラマを見るようで、忘れられない風景を胸に残してくれることでしょう。なお、半島の先端知床岬は、潮の流れが早く、最高時速4ノット[1時間に1海里(1852m)進む速さを1ノットという]の難所で、ここを境にして天気が変わるそうです。

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網走刑務所、赤レンガの塀に囲まれた建物は、本物の網走刑務所です。むかしは「網走監獄」、今は「網走番外地」として、その名が知られているようです。只今では、3階建て集中暖房付きの鉄筋ビルに変わっておりますが、アーチ型の赤レンガの正門と、高さ4m65㎝、地下1m80㎝のレンガ塀はむかしのままです。明治23年、釧路集治監網走外役所として造られ、約1200人の囚人が、道路や鉄道建設、鉱山の採掘など、過酷な労働にかりだされ、北海道開拓のいしづえとなりました。五寸釘の寅吉こと西川寅吉や、脱獄王といわれた白鳥由栄などのほか、いわゆる政治犯といわれる人達も投獄されました。人里はなれ、寒さも厳しく、網走川に行く手をはばまれ、しかも、重労働の毎日が「恐ろしい網走監獄」というイメージをつくりあげたわけですが、現在は、懲役8年以下の、短期受刑者に限られ、刑務所での生活も改善されているそうです。この刑務所の所有面積は、1700ha、この中に農園、果樹園、山林を持ち、豚や牛を飼い、野菜から肉にいたるまで自給自足している日本一の農園刑務所です。また、刑務所内で受刑者がつくった家具・洋服・皮製品・木工品などが、年に一度展示即売されます。網走観光土産の一つ、ニポポ人形も受刑者の手で作られています。ここで、網走刑務所で服役していた人の詩をご紹介しましょう。

網走は寒いですよ。雪が降りますよ。でも、緑は美しく、畑は黒く、牛がないて、人々はやはりあたたかい。母さんと、兄の車で私は帰ります。さようならを、胸に残さず私はいってから、網走にも、さようならをいいます。(ある受刑者の詩より抜粋)

レンガ塀、刑務所の周りを囲むレンガ塀は、大正8年から大正13年にかけて造られたもので、高さ4m65㎝、地下1m80㎝、周囲1086mございます。受刑者がレンガを焼き150万枚を、ここに一枚一枚積み重ね築いたものでございます。当時のお金で3万円、今のお金で約2億円のお金をかけて造られました。(網走湖の砂と裏山の粘土を使う)当時、この赤レンガ塀が作られてから地元では「赤門大学・赤門山荘」と呼んだこともあったようでございます。

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博物館・網走監獄、囚人労働に支えられた北海道開拓の歴史を再現する為に設けられたもので、実際に刑務所で使われていたを、移築し復元したものでございます。裏門・庁舎・内部に一本の柱もない講堂、明治45年に「ベルギーのルーヴァン監獄」を手本に建てられた、全国でも珍しい木造舎房で、現在の新しい舎房が出来るまでの昭和59年まで74年間、実際に使われていた建物でございます。放射線状に伸びた5棟の獄舎で、特に「斜め格子」「くの字格子」は珍しく、また、「昭和の脱獄王Y・S」が朝夕の味噌汁の塩分で鉄格子を腐らせ、肩の骨をはずして脱獄した第4舎24房はぜひご覧下さいませ。売店にはニポポ人形や出所饅頭、出所センベイ、差し入れ羊羹などユニークなお土産もあります。

網走市のあらまし、北緯44度のまち網走は、アイヌ語の「アパシリ=入口の地」「チパシリ=幣場のある所」などの説がありますが、「網が走る」という字で書きます。いかにも漁業の町にふさわしい地名です。網走はむかしから刑務所で有名な為、暗いイメージがありますが、現在は、原生花園の美しさで、明るい「花の網走」として全国に知られるようになりました。大昔から先住民族の楽園だったことは、市内にありますモヨロ貝塚などの遺跡からも証明されますが、和人が住みつき、本格的な開拓が始まったのは、明治に入ってからのことです。いま網走市はオホーツクの大漁場をひかえる水産都市として、バックに広い農村をもつ農業都市として、さらに海、川、森、砂丘などの雄大な自然に囲まれた網走国定公園の中心地として、また、知床国立公園への玄関口となる観光都市としても発展しています。となっています。

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写真は大空町女満別朝日ヶ丘公園です。

大空町女満別、空港のある町として有名ですが、地名のいわれは、アイヌ語の「メム・ヤム・ベツ」から来たもので、「冷たい泉の湧いている川」の意味です。古くからアイヌの人達が、網走湖に生活の糧を求めて暮らしていたところで、ここ大空町女満別の和人の入植は、明治23年、福井県人がマッチの軸木造材のために来たのが、始まりということです。大空町女満別は、ビート・小麦・ジャガイモなどの農業を中心に、酪農や網走湖での漁業も行われています。美しい広大な農業景観の魅力は、北フランスを思わせ、黒澤明監督の映画「夢」で紹介されています。

女満別空港、旧空港から昭和60年に現在の場所に移転し、ジェット化空港として生まれ変わりました。現在、千歳や羽田との間をむすんで、年間利用100万人を超えて、東北海道の空の玄関口になっております。平成14年度は、106万人で、新千歳、函館、旭川に次ぐ道内第4位の空港となっています。