ゆったり小樽4時間観光コース小樽Aコース観光案内です。


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小樽市祝津観光案内。小樽市祝津、小樽観光を代表する小樽の景勝地で、北海道の文化財に指定される小樽市祝津ニシン御殿をはじめ、ロマンチックな小樽市祝津日和山灯台、自然の海をそのまま生かした小樽市祝津水族館、白いヨットの浮かぶ小樽市祝津マリーナなどがあります。小樽市祝津ニシン御殿は、以前、積丹半島の泊村にあった大網元、田中家の住宅です。白い壁と、黒い柱の美しいコントラスト、大屋根中央の「煙だし」など、まるで天主閣のようです。また、一歩中へ入ると、一抱えもあるような、角材がふんだんに使われていて、ニシン全盛の頃のようすがしのばれます。ニシン御殿のうしろにある、小樽市祝津日和山灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」のラストシーンに登場して、全国に紹介された灯台です。歌の一節のように、「沖行く船の、無事を祈って」立っています。小樽市祝津の美しい海岸をそのまま生かして建てられた水族館には、2万匹あまりの魚が悠々と泳いでいます。トドのダイビング、イルカやアザラシ・オタリアのショー、可愛いラッコなども人気を集めて、シーズンには「祝津銀座」といわれるほど、大勢の人達で賑わっております。小樽市祝津日和山灯台、明治16年に建てられた古い灯台で、北海道では根室のノサップ灯台につぐ2番目のものです。最初は6角形の木造で、白一色でしたが、現在は御覧のとうり、赤白の近代的な姿に生まれ変わり、15万カンデラの光が、35㎞の海を照らしております。小樽市祝津ニシン御殿、以前、積丹半島西海岸の泊村にあったニシン場の親方、田中家の番屋で、昭和33年ここに移されました。「番屋とは」、北海道独特の呼び名で、もともとは、松前藩時代の漁場の支配所で、運上屋の出先機関でしたが、のちに、ニシン漁を行う住居を指すようになりました。そして、この番屋が中心になって、網倉や倉庫が幾棟も建っていたのです。ところで、この田中家は、積丹半島屈指の大親方で、たくさんの漁場を経営し、漁獲高は、じつに1万石(7500t・4000万匹)を誇っていました。全盛期には、120人の漁夫達が寝起きしていたそうです。その田中家が、明治24年から、7年がかりでつくりあげたのがこの建物で、ほとんどが、北海道産のタモ、トドマツ、センなどの原木、3000石(1石は0.28㎥)を使っております。これを、仮に15坪のマイホームを建てるとすると、40戸は出来るということです。大屋根の中央の「煙だし」も、天主閣のような形をしていますが、中に入って、吹き抜けの天井を仰ぎますと、1尺から2尺(30cm~60cm)もある荒削りの角材が、ふんだんに使われていて、ニシン場の親方が、いかに裕福であったかが、おわかりいただけるかと思います。

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小樽市祝津に有る、小樽旧青山別邸、青山家は明治・大正を通じ、ニシン漁で巨万の富を築き上げました。その三代目娘、政恵が十七歳の時、酒田市にある本間邸に魅せられて大正6年から6年半余りの歳月をかけ建てた別荘が小樽旧青山別邸です。平成22年、国より登録有形文化財に指定されました。約1500坪の敷地内に木造2階建てで建坪は190坪。家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室、それぞれに趣が異なり、金に糸目をつけず建てられた豪邸です。祝津には、ニシンの全盛期をしのばせる建物が、いくつか残っておりますが、青山家別邸は、その中でも代表的なものの1つです。カワラ屋根の豪壮な建物で、外観のいたるところに木彫りがほどこされ、内部も「北の美術豪邸」と呼ばれるにふさわしい、すばらしいつくりになっております。なお、青山家は、安政6(1859)年からの網元ですが、最盛期のころには、漁場の数10、漁船百数十、漁夫300人をかかえていたそうです。

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小樽市色内に有る、旧日本郵船小樽支店、明治39年につくられたもので、日本銀行小樽支店とともに、小樽の明治洋風建築の双璧といわれ、規模こそあまり大きくありませんが、正面は、バルコニー付の玄関を中心にして、左右対照になっていて、軒下の石の装飾も、大変素晴らしものです。また、内部も、彫刻をめぐらせた大きな丸い柱や、(大会議室の)豪華なシャンデリア、(貴賓室の)大理石のマントルピースなど、当時の繁栄ぶりを物語っています。なお、この建物は、完成直後の明治39年11月、日本とロシアの間で、南樺太の国境を定める会議(日露国境画定会議)が開かれ、まさに歴史の檜舞台でした。この建物の設計者は佐立七次郎博士で、現・東京大学工学部の前身、工部大学校造家学科の1期生です。ところでこの1期生は、佐立七次郎、辰野金吾、曽根達蔵、片山東熊のわずか4人ですが、佐立は、明治39年完成の日本郵船小樽支店、辰野は、明治45年完成の日本銀行小樽支店、曽根は、昭和2年完成の三井銀行小樽支店の設計をおこなっています。日本建築の土台をつくったと思われる4人のうち、3人までが小樽で腕を振るったことは、興味ぶかいことです。写真右は北運河建築当時のままの幅40m有ります。

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小樽市色内に有る、旧日本銀行小樽支店、小樽は歴史の重みを感じさせる建物が多く、ハウスウォッチングの楽しみある街並みです。旧日本銀行小樽支店は小樽に残っている、明治洋風建築を代表するものの1つで、どっしりとした土台、ぶあつい石の壁、そしてルネッサンス・スタイルの建物は、西洋の古いお城を思わせます。壁の凹凸や、軒下に見られる石の装飾、奥深い玄関や長い窓、それお守るように立つ柱など、どれ一つ取り上げても、素晴らしいデザインですが、とくに、ドーム付き屋根が魅力といわれております。この建物は明治45(1912)年レンガ造りでつくられたもので、設計者は元の日本銀行本店や、赤レンガの東京駅をつくった辰野金吾氏です。

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小樽市信香町に有る、小樽田中酒造亀甲蔵、小樽旧岡崎倉庫、岡崎謙、明治10(1877)年佐渡生まれ。東京英和学校、国民英和学校、東京高等商業学校(一橋大学)で学び、明治32(1899)年に米、荒物、雑穀、倉庫業の家業を継いでいます。区制時代には区会議員、市政時代には市会議員、昭和2(1927)年には議長になっています。前田家のおかかえ能楽師であった波吉宮門に能を学び能を愛していました。自費で能舞台を自宅に普請するほど文化にも造詣が深かったようです。能楽堂は市に寄贈され、公会堂の一角に建っています。また、現在田中酒造亀甲蔵は明治39(1906)年に建てられた旧岡崎倉庫です。酒と水、1升(1.8ℓ)の酒をつくるには10升の水を使うといわれるように、酒の10倍以上の水が様々な段階で必要です。「洗米」米を洗う水、「浸漬」米を適度に潤す水、「蒸米」米を蒸気で蒸す水、「仕込水」米と麹とを一緒にタンクに入れる水、「割水」度数調整のための水といったほとんど全てのプロセスで水を使用します。小樽が自慢できる味を環境として助けてきたのは、まさに小樽の水に他なりません。田中酒造亀甲蔵、明治32(1899)年に創業した田中酒造(株)が平成8(1996)年に設置した酒造工場と見学施設です。10種類以上のお酒が試飲できるミュージアムです。

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小樽市富岡に有る、小樽富岡カトリック教会、昭和4年に、ドイツ人宣教師の設計・指導で建てられた、小樽カトリック富岡教会です。ツタにおおわれた天主堂、ステンドグラスをはめ込んだ飾り窓、アーチ型に石を組んだ玄関など、ロマンチックな香りただよう教会です。なお、このあたりは、亡き石原裕次郎さんが(3歳~8歳までの)少年時代をすごしたところです。となりの写真は小樽公園です。小樽公園は、小高い丘の上につくられた、緑の多い公園で、北海道でただ一つの能楽堂をはじめ、市民会館や体育館、図書館・公会堂・野球場などが点在します。また、15種類7000本のツツジが植えられていて、花の季節は、目も覚めるばかりの美しさです。このツツジは、小樽市の「市の花」に選ばれていますが、庭木が「市の花」になっている珍しい例です。

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(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)

小樽市内ゆったり4時間観光Aコース

小型タクシーお客様4名まで乗車可能 1時間5160円×4時間=20640円

ジャンボタクシーお客様9名まで乗車可能 1時間7760円×4時間=31040円

モデルコースです。時間内コース変更可能です。