【積丹】積丹神威岬・念仏トンネル観光案内です。


CIMG0725積丹神威岬水無しの立岩1a積丹カムイ岬3女人禁制の門

積丹観光タクシー・ジャンボタクシー・ジャンボハイヤー、北海道小樽観光タクシー高橋の積丹念仏トンネル観光案内です。

写真左が積丹水無の立岩、その少し右に現在落石で危険なため、通行止めになっている積丹念仏トンネルが有ります。以前は真っ暗な積丹念仏トンネルを通って積丹神威岬の突端へと向かっておりました。この積丹念仏トンンネルが掘られたのは1つの海難事故がきっかけとなっております。大正元年10月積丹神威岬灯台に勤める職員の家族が買い物をして岩場を伝って家に戻る途中、波にさらわれて行方不明になりました。いつまでたっても帰らないので、手分けして探したところ、岩場に漂っている遺体を発見したのです。涙ながら葬儀を終えた積丹神威岬灯台の職員や家族たちは、再び悲しい事故が起きないためにも、断崖にトンネルを掘ろうと言う事になりました。職員たちは仕事の合間をみつけては、波しぶきのたつ断崖に張り付いて、最も危険な積丹神威岬に通じる断崖を両側から掘り出しました。掘り出してどの位たったでしょう。どこからか誰かの叫ぶ声がきこえたのです。それは亡くなった人の声のようでした。ところが両方から掘ってもう何か月にもなるのに、どうしたことか貫通しないのです。職員たちが調べた結果、掘った穴が大きくずれている事がわかりました。「仕方がない、途中から曲げて結ぼう」と片方から右折する形で掘りぬきました。わずかにずれていると思っていたのが、かなり大きく食い違っておりました。トンネルが出来波打ち際の通行が便利になりましたが、人々はここを通るとき、亡き人をしのんで念仏を唱えながら歩きましたので、念仏トンネルになったとか、また、一説には暗闇で恐ろしくてたまらないので、念仏を唱えながら通った事から念仏トンネルと呼ばれるようになったとも呼ばれております。となりの写真は神威岬と神威岬灯台です。積丹ブルーの海も大変綺麗です。女人禁制門みえております。神威岬の婦女通行の禁、神威岬付近は、天気の良い日でも波の高い事が多く、昔は、少し荒れだすと、小さな船ではなかなか通ることが出来なかった難所で、蝦夷三険岬(茂津多・神威・雄冬)の1つに数えられていたところです。ところで、松前藩時代には、この岬から北へは、女性が行くことを認めておりませんでした。それは松前藩ではこの岬から北は、和人の定住を禁じていて、そこに女性が入ると言う事は、定住を意味したからでした。和人が、交通の不便な奥地に、どんどん入るようになっては、藩の力で、とても取り締まる事が出来なくなるからです。したがって、奥地に入るのは、ニシン漁に行く男だけに限られていて、恋し人との別れを惜しむ、妻や恋人の思いが、「恨みますぞえ、お神威さまは、なぜに女の足止める」「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と、追分節にもうたわれています。この女人禁制の掟が解かれたのは、安政3年(1856)、蝦夷地を幕府が直接おさめるようになった翌年の事です。宗谷へ赴任するお役人、梨本弥五郎が、初めて妻子をつれて、この岬を通過しております