【知床宇登呂】宇登呂観光案内です。


知床宇登呂観光タクシー・ジャンボタクシー、北海道小樽観光タクシー高橋の知床宇登呂観光案内です。

知床半島斜里町宇登呂です。宇登呂とは、アイヌ語の「ウトゥルチクシ」「その間を我々が通るところ」という意味ですが、むかしは、岩と岩との間を通らなければ、海辺に出られなかったようです。今でも町の中に、オロンコ岩・ローソク岩・帽子岩などの大きな岩が建ち並んでいます。この沿岸には、古くから魚を獲るための番屋があり、漁業で知られるところですが、農業移住者が入ったのは、明治45年、福島の人達が最初でした。戦後、樺太・千島からの引揚者が増え、漁場開発が行われて、サケ・マスを中心とした漁業が行われています。しかし、現在のウトロは、何といっても北海道を代表する、「秘境知床」を探勝する知床観光のメッカとして発展しております。(なお、高台にはウトロ温泉があります。含重層食塩泉で、神経痛、リュウマチ、糖尿病に効きめがあるそうです。)

 

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オロンコ岩、大きな岩はオロンコ岩です。高さおよそ60m、シンパクや数々の高山植物でおおわれ、頂上は展望台になっています。箱庭のように見えるウトロ港と、白波打ち寄せるオホーツクの海岸線、まじかにせまる羅臼岳や硫黄山など、すばらしい眺めを楽しむことができ、また冬は流氷の展望所にもなるところです。また、オオセグロカモメや海鳥たちのコロニーとなり、7~8月は特に多く見られます。(保護地区指定)

オロンコ岩の伝説、むかし、この岩の上に、オロッコ人が砦を構えて住んでいたという伝説が残っています。下を通る船に石を投げ落とすなどの悪さを続けるため、アイヌの人達は何とかオロッコ人をこらしめようとしましたが、いつも負けてばかりです。そこでアイヌの人達は、ある計略をしました。月のない暗い夜、少し離れた海岸に、海藻をを集めて鯨の形を作り、その間に魚をはさんでおいたのです。翌朝、さっそくカラスの群が集まって、カァカァ騒ぎました。これを見たオロッコ人は「ソレッ、鯨が流れ着いたぞ」と喜び、われ先にと、かけ下りて行きました。しかし、岩の上から降りてしまっては、人数の少ないオロッコ人達に勝ち目はありません。かくれていたアイヌ人達にとりかこまれ、全滅したということです。そのため、今でもこの岩を、オロンコ岩と呼ぶのだそうです。(更科源蔵「アイヌ伝説集」より)

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知床旅情、♪しれとこの岬に ハマナスの咲くころ 思いだしておくれ 俺たちのことを・・・♪どなたもよくごぞんじの「知床旅情」の一節ですが、この歌は、俳優の森繁久弥さんが、知床の豊かな自然と、土地の人々の温かい心に打たれて作った歌です。昭和35年、知床半島を舞台に、戸川幸夫原作、映画「地のはてに生きるもの」のロケが行われました。このとき、地元では住民あげて協力し、とくに羅臼町の奥さんたち300人が、無料でエキストラをかって出て、森繁さんたち、映画スタッフを感激させました。やがてロケも終わり、知床を去る前の晩、森繁さんは、お礼にと「さらばラウスよ」という詩を披露しました。これが「知床旅情」の原題で、初めは「ラバウル小唄の節でやるか」といっていたのですが、愛用のギター取り寄せると、いっきに曲を作り上げました。そして、地元の人たちと、飲みあかし、腕を組み、肩を組んで、何度も歌い続けたのです。この歌は翌年、NHKの紅白歌合戦に登場し、レコードにもなって学生たちに愛唱され、続いて加藤登紀子さんの歌声で、爆発的な人気を呼びました。全国にそのメロディーが流れ、知床ブームに火をつけたわけです。(昭和53年、羅臼町では舟見町の丘に「森繁久彌顕彰碑」としてオホーツク老人像を建てており、斜里町ウトロ三角岩にも「森繁の碑」があります。)写真はウトロ三角岩「森繁の碑」です。

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知床観光船、このウトロ港からは、知床観光船「おーろら」が運航しています。1時間30分の硫黄山折り返しコースと、3時間45分の知床岬コースがございます。知床半島のダイナミックな断崖や奇岩、海原に舞う海鳥の群を眺めながら、地上からとは全く違った表情を見ることができますし、少し沖にでますとイルカやシャチなどの海の動物ウォッチングが楽しめます。また、海上から眺める知床連山は雄大の一言です。この観光船は、春から秋は知床観光船として、冬は網走で流氷観光砕氷船として運航されています。